甲府の「開府500年」
甲府は、2019年「開府500年」を迎えます。
甲府は、甲斐の国の守護大名で信玄の父である武田信虎が、1519年(永正16年)に、川田から躑躅ヶ崎(つつじがさき)に館を移したことに始まります。
躑躅ヶ崎には現在武田神社があり、武田信玄が祭神となっています。
館を移転した信虎は、「甲斐の国の府中(政治の中心地)」という意味から、この地を「甲府」と名付け、周辺を整備して城下町を築きました。
甲府市は、この節目にあたって「こうふ開府500年記念事業」として今秋から様々なイベントを企画しています。
今回は、その幕開けイベントの一つである、JR甲府駅北口ペデストリアンデッキで行なわれている「開府500年」の記念常設展示を観に行ってきました。
この「こうふ開府500年常設展示」は、2020年3月31日まで開催、入場は無料です。
展示会場入り口には、観光地によくある顔出しパネルが置いてありました。
これはキティちゃんバージョンの富士山と、ほんわかした雰囲気の甲府市のゆるキャラ「とりもっちゃん」です。
こうふ開府500年常設展示の感想
今回の展示は、500年の甲府市の歴史を5つのブースに分け、とてもコンパクトに紹介してあります。
コンパクトなだけに甲府の500年を短時間に概観するにはとても分かりやすい展示でした。
パネル展示は、武田の時代から始まり、江戸、明治・大正・昭和の戦前と戦後・平成、そして未来へと、歴史を追って5つのブースに分かれています。
また、信虎、信玄、勝頼と武田三代が暮らした躑躅ヶ崎の館のジオラマがあり、堀を巡らし整備された当時の様子がよく分かりました。
入り口からまっすぐの正面に飾ってあるのは、武田信玄の像です。この像は、甲府市の山八幡神社所蔵のものです。
解説によると、この信玄像は、かつて山八幡神社のお祭りの山車に掲げられていたもので、少なくとも大正時代初頭には作られていたようです。
隣には、大正時代に写したというお祭りの写真があります。
その写真には、山車の上の高い位置に信玄公が祭を見守るように掲げられていて、いつの時代にも武田信玄は市民の象徴だったことが伺えます。
展示では、他にも「甲府の達人クイズ」や「武田二十四将クイズ」などがあり、お父さんお母さんと一緒に訪れた子どもたちがチャレンジしていました。
江戸時代のブースでは、「小江戸甲府」と言われた街並みをCGで再現したビデオもあります。
そこに置いてあるチラシを見ると、アプリをダウンロードして、実際の街並みに出てVRで小江戸甲府を楽しむこともできるようです。
甲府の歴史というと武田氏ばかりがクローズアップされがちですが、江戸時代の城下町甲府の発展に貢献した柳沢吉保、吉里親子や、戦時中に甲府で新婚生活を送っていた太宰治など、甲府に縁のある人々の展示もあり、一気に500年の歴史を遡ることが出来ました。
展示には、太宰治が甲府を評した次のような一文も紹介してありました。
「シルクハットをさかさまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである。」(太宰治著「新樹の言葉」より)
500年にわたり、先人たちが築き上げてきた「きれいに文化のしみとおっているまち」甲府をいつまでも大切にしていきたいなと、これからの甲府に思いを馳せながら、ブースを後にしました。
帰り道、甲府駅南口に出て、改めて駅前の信玄公像を眺めてみました。
山八幡神社の信玄公像と、確かに面影は似ています。
でも、駅前の信玄さんのほうが恰幅がよく、堂々とした佇まいをしているように感じました。
先ほどの展示会で見た山八幡神社の信玄像の方が少し若い頃のもので、こちらの方が年をとってからの信玄公なのかもしれません。