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山梨雑学あれこれ

温泉好きの武田信玄〜信玄の隠し湯の由来や場所〜

温泉好きの武田信玄〜信玄の隠し湯の由来や場所〜

信玄の隠し湯とは

甲府駅前の武田信玄像

信玄の隠し湯とは、戦国時代の武将武田信玄たけだしんげんが、領地である甲斐国(山梨県)や、その周辺で湯治場として活用していたと言われる温泉地の総称です。

その当時は「隠し湯」という名称はなく、明治以降から昭和にかけ、「信玄の隠し湯」として広く知られるようになりました。

武田信玄は、戦国最強と言われた武田軍団を維持させるために、戦に医師を同行させるなど常に気を配ったと言われ、さらに負傷した兵のために何ヶ所も温泉を開発したそうです。

信玄にとって「温泉」というのは、とても重要なものでした。


戦国武将と温泉

それでは、他の戦国武将と温泉との関係性はどうだったのでしょうか。

信玄の最大のライバルである上杉謙信は、領地の新潟に、同じく「謙信の隠し湯」と伝えられている温泉が、燕温泉、関温泉など何ヶ所かあるようです。

また、徳川家康や豊臣秀吉、織田信長といった有名な武将も、領内の温泉(熱海温泉や下呂温泉、有馬温泉など)で合戦の疲れを癒したという史料もあり、どうやら信玄に限らず、戦国武将と温泉とは関係が深く、その逸話も全国いたるところで聞かれます。

しかし、なんといってもその数が圧倒的に多いのが武田信玄です。

信玄の隠し湯として伝わっている温泉の数は、(実際の史料などが残っているものは限られますが)全部で20ヶ所ほど。

それも、山梨、長野だけでなく静岡、岐阜、神奈川にまで及んでいるということから、信玄が領地を拡大しながら、行く先々で温泉開発を手がけたことが伺えます。

なぜ信玄と関連する温泉が多いのか

無類の温泉好きの武将である武田信玄。

新田次郎の小説『武田信玄』にも、「なにもかも忘れて湯に浸かっていると、なにか生きるよろこびを感ずる」という一節が登場しますが、一体、なぜ、それほどまでに信玄は温泉を愛したのでしょうか。

まず、周囲を山々に囲まれた山梨(甲斐国)には、そもそも「温泉が多い」ということも理由として考えられるでしょう。

今でも山梨は日本有数の温泉地です。

山梨の温泉環境の多様性は日本でも随一を誇ります。四方八方は山々に囲まれ、露天風呂からは南アルプスや富士山、渓谷美など様々な景観を楽しむことができるほか、海抜100m程度から標高1400mの温泉まで標高の差あり、分布も県内に隅々まで温泉が点在します。

そうした多様性がある山梨の温泉ですが、なかでも、温泉の泉質は10ある泉質のうち、9つの泉質があり、全国でもトップレベルの多様な泉質を誇ります。

出典 : 泉質の種類は日本トップレベル?! ~泉質で選ぶ温泉特集~|富士の国やまなし

また、先ほども触れたように、武田信玄は自分の家臣たちの健康というのをとても大切にしていました。

そのため、いくさの最中の家来の負傷に際し、温泉での治癒というのを重要視していたようです。

加えて、信玄の生まれの地である積翠寺せきすいじには、「積翠寺温泉」(残念ながら2017年に二軒の温泉宿が閉館)といわれる温泉があり、信玄の産湯を汲んだと伝わる井戸も残っていることから、信玄自身温泉の効能を肌身で実感してきたのでしょう。

その他、武田家の居城であった躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたの近くにも「湯村温泉」という温泉があり、武田信玄や、その子・勝頼が湯治をしたという史料も残っています。

こうした理由から、他の武将と比較し、特に武田信玄は温泉を身近に感じ、大切にしてきたのでしょう。


名称の由来

それでは、なぜ「隠し湯」という表現で今に伝えられたのでしょうか。

研究者のなかには、「信玄の隠し湯」というネーミングは、明治以降のある時期、温泉地を世に売り出すために旅館の経営者が「信玄」の名を冠して創作したことに由来するのではないかという人もいます。

実際、「信玄の隠し湯」といわれる温泉地は秘境にあることが多く、人目につかない場所にひっそりあることから、「秘湯」を広告的な材料として活用したという面もあるかもしれません。

また、武田の軍団を支える大事な兵士が負傷したときのために、温泉地を敵方に知られないよう隠していた、ということも理由として考えられるでしょう。

隠し湯、という名称は確かに当時は使われなかったものの、隠したほうがいい、という意識が人々のあいだにもあったのかもしれません。

あるいは、信玄自身が負傷した際、湯治のために湯村温泉に入ったという記録が『甲陽軍鑑』に残っていますが、大将が負傷したとなれば民衆が混乱するため、お忍びで休んでいた(隠していた)、ということもあるでしょう。

それともう一つ、ここからは個人的な推測になりますが、「隠し湯」の広告的な意味合い以上に、「隠す」という表現のなかに、昔から伝わる甲斐国独特のお国事情なども関係しているように思えます。

周辺を山々に囲まれた甲斐国は、それ自体が秘境の地で、信玄も戦いが終わると必ず故郷に帰り、ほっとひと休みしたといいます。

甲斐国は、いわば外から侵略されづらい天然の要塞です。

そんな天然の要塞も、一旦外敵が中に入ってくると、逆に逃げ場を失うという危険性もあります。

また、耕作地がとても狭く、自分の持ち場を奪われないように、しっかり守らなければならない、ということもあります。

こうした土地柄のなかで、甲斐国の人々は、内輪のことについてはよそ者に口外しない「秘密主義」的な習性が代々身についていったのではないでしょうか。

ちなみに、温泉と同じように「隠していた」といわれるものに、信玄の「隠し金山」があります。

隠し湯といわれている温泉地には、武田信玄が金山を開発しているさなかに発見されたといわれる場所も多く、金山に携わった労働者もおそらく温泉に浸かって疲れを癒したと思われます。

もしかしたら、隠したかったのは温泉ではなく、むしろ「金山」のほうだったのかもしれません。

信玄の埋蔵金伝説とともに想像が膨らみます。

いずれにせよ、山梨には、武田信玄にまつわる温泉が数多くあり、今でも癒しの場や観光地として、地元の方や観光客から愛されています。

以下、山梨県内で「信玄の隠し湯」と言われている温泉の一覧です。


山梨県内

積翠寺せきすいじ温泉(甲府市)

積翠寺温泉は、武田家の館、躑躅ヶ崎館の北、信玄の父信虎が建てた要害山城近くに湧いた温泉です。

信玄の生地としても知られ、積翠寺の境内には産湯を汲んだとされる井戸が残っています。

二軒の温泉宿がありましたが、残念ながら二軒とも2017年に閉館しました。

甲府駅からも車で15分ほどと近かったので、我が家ではリウマチを患っていた祖母や母がよく利用していました。

要害山近くからの甲府盆地の眺めも素晴らしく、温泉施設がなくなったのは本当に残念です。

アクセス:JR中央本線甲府駅からバスで約15分

 

湯村温泉(甲府市)〔web

躑躅ヶ崎館跡(現在の武田神社)からも近く、甲府市北部の市街地にあり、現在では秘境という感じはあまりありません。

開湯の起源については、平安時代弘法大師が発見したという説、傷ついた鷲が飛来して癒していたのを村人が発見したという説など色々あります。

ただ、少なくとも室町時代には湯治ができるほどの施設があったようで、武田信玄や、信玄の子・武田勝頼も湯治に訪れたことが史料に残されています。

近年では、作家の井伏鱒二や太宰治、松本清張なども逗留しています。

アクセス:JR中央本線甲府駅からバスで約15分

 

下部温泉(南巨摩郡身延町)〔web

下部温泉は、JR身延線下部温泉駅のすぐ近くから旅館が点在し、徒歩15分くらいの範囲に温泉街があります。

起源は平安時代と伝えられ、鎌倉時代には日蓮が湯治に訪れたり、古くから湯治場として知られていました。

戦国時代になり、のちに武田家臣になる穴山氏によって整備。信玄の父である武田信虎の代から武田家公認の湯治場だった、という書状が残されている旅館もあります。

また、武田家滅亡の後は徳川家康が入浴したと伝えられる資料も残されています。

明治以降、新渡戸稲造や高浜虚子、若山牧水、井伏鱒二などの文人や、近年では石原慎太郎が手術後の療養に長く滞在しました。

近くには「湯の奥金山」の遺跡もあり、「甲斐黄金村・湯の奥博物館」では戦国の金山の歴史に触れることができます。

ホタルの住む清流の下部川と緑豊かな山々の自然も魅力のひとつです。

アクセス:JR下部温泉駅近く

 

川浦かわうら温泉(東山梨郡三富村)〔web

笛吹川の上流にある川浦温泉は、鎌倉時代に発見されたと伝えられています。

その後、戦国時代に武田家の重臣「山縣昌景やまがたまさかげ」が信玄の命を受けて開発、整備されました。

一軒宿の「山県館」は、現在まで山縣昌景の子孫が代々当主を務めています。

山県館には、信玄が温泉の開発をするように命じた下知状が残されています。

なお、実物は温泉近くの武田信玄の菩提寺恵林寺えりんじ宝物館に所蔵、旅館にはその写しが展示されています。

アクセス:JR中央本線塩山駅から車で約20分

 

西山温泉(南巨摩郡早川町)〔web

西山温泉は、早川町、南アルプス山麓の秘境に佇む温泉で、JR身延線身延駅から、車で約一時間半のところにあります。

起源は飛鳥時代と伝えられ、ギネスブックに「世界で最も古い歴史を持つ宿」として認定されている「慶雲館」の他、宿泊、日帰り温泉施設もあります。

さらに早川を上流に遡ると、奈良時代孝謙天皇が訪れたとされる奈良田温泉もあり、温泉を巡る早川沿いの景観は、四季折々の渓谷美を楽しませてくれます。

この辺りは、日本の東日本と西日本の境目に当たる大地溝帯(フォッサマグナ)と呼ばれる地形の断層面が見られることでも有名です。

アクセス:JR身延線身延駅からバスで約100分

 

赤石温泉(南巨摩郡富士川町)〔web

信玄の隠し湯

富士川町にある赤石温泉は、信玄が金山の開発をさせた際、発見したと言われています。

山梨百名山のひとつ櫛形山くしがたやまの山麓、戸川渓谷沿いにあり、旅館の木材の切り出しから露天風呂や廊下も外観も全て手作りの旅館です。

源泉は赤褐色の酸性鉄泉で、薄めて加温しないと酸が強すぎて設備が痛んでしまうほど。近くの戸川渓谷も含め、ほとんど手つかずの自然が楽しめます。

アクセス:JR身延線鰍沢口駅から車で約30分

 

増富温泉(北杜市)〔web

増富温泉は、日本百名山の瑞牆山みずがきやま金峰山きんぷさんの麓に位置し、本谷川沿いに湧いている温泉で、増富ラジウム温泉とも呼ばれています。

信玄が金山を開発したときに発見したと伝えられています。

温泉街には、8軒の旅館と1軒の日帰り温泉施設があり、近年では高浜虚子や田中冬二、井伏鱒二などの文人も多く訪れました。

古くから療養のための温泉として有名で、多くの湯治客が長期滞在をしていますが、八ヶ岳を始め瑞牆山などにも近いので、シーズンにはそれらの登山客でも賑わいます。

現在では地域をあげて温泉や周辺の自然を生かした心身共の癒しの里づくりに取り組んでいます。

アクセス:JR中央本線韮崎駅からバスで約60分

 

岩下温泉(山梨市)〔web

岩下温泉は、山梨県で最も歴史の古い温泉で、少なくとも1700年以上前(縄文時代)には発見されていたのではないかと言われています。

笛吹川の支流の平等川沿いに、旧館と新館に別れた一軒宿があります。

明治時代に建てられた旧館は国の登録文化財に指定されていて、半地下に28度の冷泉があり、日帰り温泉施設としても利用できます。

周辺は住宅街ですが、すぐ近くに桃やぶどう畑があり、フルーツ狩りも楽しむことができます。

アクセス:JR中央本線山梨市駅から車で約7分

 

田野鉱泉(甲州市)

田野温泉は、日本百名山のひとつ大菩薩嶺の麓にある温泉です。

かつては二軒の温泉宿がありましたが、閉館し、現在は市の福祉センターが開業、日帰り温泉を利用することができます。

温泉の看板もないひっそりとした施設なので、利用者はほとんどが地元の人。観光客はあまり訪れませんので、貸切状態で入れるときもあります。

近くには武田勝頼終焉の地である景徳院があり、武田家の旧跡を巡り往時を偲ぶこともできます。


アクセス:JR中央本線甲斐大和駅から車で約10分

 

嵯峨塩さがしお鉱泉(甲州市)〔web

嵯峨塩鉱泉は、日本百名山の大菩薩嶺の南麓、標高1300メートルの場所に位置し、源泉を加温している鉱泉ですが、飲泉も可能です。

かつては湯治場でしたが、現在は山奥の一軒宿で宿泊だけでなく、日帰り温泉も利用できます。

日川渓谷沿いに佇む数寄屋造りの旅館は、周辺の四季折々の景観も素晴らしく、静かな秘湯でゆっくり過したい人にはにはぴったりの鉱泉です。

アクセス:JR中央本線甲斐大和駅からバス20分(バスは冬季休業のため予約で無料送迎あり)

山梨県外

その他、山梨県外にも、信玄の隠し湯と伝えられている温泉があり、たとえば、長野県の松代温泉(長野市)、白骨温泉(松本市)、横谷温泉(茅野市)、小谷温泉(北安曇郡小谷村)渋温泉(下高井郡山ノ内町)。

また、静岡県の梅ヶ島温泉(静岡市)、岐阜県の平湯温泉(高山市)などがあります。

信玄の隠し湯含め、山梨県内にあるおすすめの源泉掛け流しの日帰り温泉は、「山梨でおすすめの日帰り温泉〜秘境、美肌の湯、湯治、源泉掛け流し〜」で紹介しているので、よかったら参考になさって下さい。

以上、温泉好きの武将武田信玄と「信玄の隠し湯」でした。

ABOUT ME
なえ
なえ
山梨生まれ山梨育ちのおばちゃん(おばあちゃん)。セカンドライフ。地元山梨の色々な場所を巡りながら感想やおすすめ情報などを書いていきたいと思います。巡るのはまず美術館、それから酒蔵やダムなども考え中です。