100万回生きたねこ ‐ 佐野洋子の世界展 – へ
山梨県立美術館で開催された、「佐野洋子の世界展」に行ってきました。
山梨県立美術館としては、絵本作家の展示は珍しいなあと思いながらも、20代の頃、初めて「100万回生きたねこ」を読んだ時の、あの何とも、せつない感覚を思い出しながら、展示会場に入りました。
二階の特別展示室へ通じる廊下の先には、「富士見の窓」という額縁に見立てた窓があります。天気が良いと、ここから富士がよく見えます。
今日は、少しぼんやりした富士です。
ここから、右手に行くと、特別展示室になります。
展示は、第1章~第5章からなりたっています。
絵本作家として有名な佐野洋子さん(1938年~2010年)ですが、実はエッセイスト、画家としても活躍されました。
今回の特別展では、合わせて約100点の作品と共に、幼い頃からの写真や、作画道具、眼鏡などの愛用品なども展示、ユニークな作者の人生そのものにも触れることができる内容になっています。
「佐野洋子の世界展」の感想
第1章 「100万回生きたねこ」の世界
「100万回生きたねこ」は、出版されてから今年で40年になります。
世代を超えて愛され続け、累計部数200万部を超え、ミュージカルとしても上演されました。近年、フランス語、ロシア語、中国語などにも翻訳されています。
第1章では、まずミュージカルの舞台装置や小道具、衣装などの展示から入ります。
ここは、撮影可なので、とらねこと一緒に写真を撮ったりできます。
段ボール作家の人が作ったという、ねこの家に入ると、何だか、本当にねこになった気分です。
窓から外を覗くねこの背中が、本物そっくりなシルエットです。
次の展示室に入ると、いよいよ絵本原画が展示されています。
入り口に自由に手に取って読める「100万回生きたねこ」の絵本があるので、もう一度復習してから鑑賞できます。
「100万回生きたねこ」の原画は、色が褪せやすい画材とのことで、佐野洋子さんが存命中から、あまり展示貸出しを快く思っていなかったようです。
今回そんな貴重な「100万回生きたねこ」の原画18枚を、前後期に分け、9枚ずつ展示替えを行うことを条件に、特別出品となりました。
また、当時の鮮やかさを再現した、デジタルリマスターの印刷版も併せて展示してあります。
まずは、主人公のとらねこの原画が飾ってあります。
どんな飼い主も「きらい」な、主人公のとらねこは、本当に見るからに、人間嫌いで、不遜な感じです。
でも、その、目、エメラルドグリーンの目に惹き込まれるようでした。
緑の透明な瞳の中に、100万回生きても誰も愛さなかったねこの、深い心の底が映っているようです。
次に、とらねこが愛した、白ねこです。
すっとした美人ねこで、とらねこのどんな自慢にも興味を示さず、媚びることのない、さりとて決して拒絶もしない、白ねこのそんなそっけなさが良かったのかな、と思いながら観ました。
白の毛並みの、ふわふわな手触り感まで実感できるような絵でした。
この白ねこの気を引くために、とらねこがくるっと宙返りするところは、男の子にありがちで微笑ましく、子どももたくさん生まれ、やさしいお父さんになったところは、どこか自信に満ちた男の人という感じがします。
亡くなった白ねこを抱えて、人目もはばからず100万回も大泣きするところには、思わずもらい泣きしそうになりました。
いったいこの絵本は、生を描いたものか、死を描いたものか、それとも両方なのでしょうか。
色々な解釈があるようですが、おそらくそれぞれが、感じたまま、とらえたままが、それぞれの正解なんだろうと思います。
読む年代によっても違うのでしょう。
私自身は、今回もう一度読んでみて、若い頃初めて読んだ時のひどく悲しい感じから、少し違った印象を受けました。
最後に真実の愛を生き切ったとらねこに、良かったね、と言葉をかけてやりたいような気持ちになったのです。
それと同時に、二度と生き返らなかったという、100万回に一回の生の燃焼の仕方に、ある種、憧れにも似た感情がこみあげてきました。
何とも不思議なお話です。
第2章 ねこ ねこ ねこ
第2章は、その他のねこを主人公にした絵本の原画等の展示です。
「すーちゃんとねこ」「さかな1ぴき なまのまま」「空とぶライオン」の3つの作品の原画が展示されていました。
ここにも、手に取れる絵本が置いてあり、読み進めながら鑑賞できます。
「すーちゃんとねこ」の原画は、初公開です。
面白いと思ったのは、ねこが主人公の作品が多いので、佐野さんはよほどの猫好きかと思いきや、実は、猫が嫌いだったそうです。
絵本は、人間だと生々しくなるので、媒介物として、犬よりカタチがきれいなねこを使った、とのこと。
また、佐野さん自身は、絵本を描くにあたって、読者としての子どもを意識して書いたことがなかった、とのこと。
ところどころに、そういったインタビュー記事や、エッセイ等のパネルが置かれ、佐野さんをよく知らない人にも、絵本作家「佐野洋子」の人となりがわかるように工夫がされていました。
第3章 永遠の子ども
佐野さんは、大人になっても「永遠の子ども」として、創作活動にあたりました。
第3章は、その原点となった、子どもの頃の体験に触れながら、絵本を通して、作者の人生の内面に足を踏み入れていきます。
画像:「わたしのぼうし」佐野洋子作・絵
ここで、佐野さんのお父様が、山梨県出身であること、佐野さん自身も戦後、中国から家族と共に引き揚げてきて、子どもの頃の3年間を山梨で暮らしたことを、私は初めて知りました。
そういえば、「佐野」という苗字は、山梨県に多い苗字のような気がします。
更に、佐野さんが、山梨で暮らした子ども時代の、自伝小説「右の心臓」の原稿や写真などもあり、作者がぐっと身近に感じられました。
「わたしのぼうし」は、子どもの頃の誰もがもっているであろう懐かしい思い出を、淡いパステルと水彩絵の具で表した作品です。
この構図と同じような、幼い頃の佐野さんとお兄さんの写真があり、思わず微笑んでしまいました。
一方、「右の心臓」は、幼い頃亡くなった、そのお兄さんのことを書いた小説です。
題名の通り、お兄さんは、右側に心臓があったため、幼い時から体が弱かったそうです。
佐野さんは、ご両親との、特にお母様との葛藤があり、その愛情をうめるかのように、お兄さんのことが大好きでした。
その最愛のお兄さんを亡くした幼い日の原体験が、佐野さんの作品の根幹にあるのかなと思いました。
第4章 自然への眼差し
第4章は、佐野さんの、自然や生き物に対する温かい眼差しが、山梨、静岡、北軽井沢と豊かな自然の中で暮らした経験に基づいているとの視点で構成されています。
また、ご自身の絵だけでなく、谷川俊太郎さんや岸田今日子さんの作品に描いた絵も併せて展示されています。
画像:ふじさんとおひさま 谷川俊太郎 詩
尚、一時期、佐野さんは、谷川俊太郎さんと結婚していたということも、今回初めて知りました。
第5章 銅版画との出会い
第5章では、1990年代に数多く制作した銅版画作品をたどりながら、佐野さんの女性としての生き方に迫ります。
佐野さんは、2010年、乳がんのため惜しまれながら亡くなります。
特に、余命二年と宣告されてからも、タバコをスパスパ吸い、作品を描き続け、有り金はたいて外車のジャガーを買ったそうです。
そこには、佐野さんの、幼い頃から培われてきた、独特の死生観が現れているような気がします。
また、100万回に1回の生を完全燃焼した、とらねこの姿とも重なります。
ここまで、絵本を入り口として、佐野洋子の世界をたどってきましたが、もしかしたら、ここからが入り口なのかもしれません。
今度は、佐野さんのエッセイをじっくり読んで、私自身の生き方ももう一度問い直したいなと思いながら、展示会場を後にしました。