目次
長野 飯山での夏の思い出
台風被害に遭った飯山
台風19号の被災地の状況が連日報道されています。
その被害に遭った地域の一つに、夫とこの夏に訪れた飯山市も入っていました。
飯山市は、長野県北東部。新潟県との県境に位置し、人口は20000人ほど。古城、飯山城を中心とした城下町で、緑豊かな田園風景のなかを流れ、たくさんの実りを育む千曲川が流れています。
その堤防沿いを走る道路から眺める夕焼けの美しさ。高橋まゆみ人形館の人形たちが伝える素朴な人々の暮らしぶり。飯山市は日本の原風景が感じられるまちとして、「遊歩百選」にも選ばれています。
また、この辺りは日本有数の豪雪地帯でもあり、スキー客に人気の野沢温泉村はこの飯山市の隣になります。
知人に勧められたことがきっかけで今夏初めて飯山市を訪れたのですが、静かな街並みや豊かな自然にほんとうに心癒されるひとときでした。
今回は、夏に訪れた美しいまち飯山のことを思い出しながら、綴ってみたいと思います。
飯山での夏の思い出
初日 ドライブの道中
夏のある日、長野県北東部にある飯山市に夫とドライブがてら小旅行に行きました。
長野でも、松本方面には何度も遊びに行っていましたが、飯山市に行くのは初。スキーの好きな友人に、飯山はスキー場が有名だけど夏もすごくいいところだよ、と聞いていたので、足を伸ばして行ってみることに。
甲府昭和インターから中央道を長野方面に、岡谷ジャンクションで長野自動車へ。
お盆も明け、平日だったからか、高速はそれほど混んでいませんでした。ドライブは快適に進み、2時間ほどして姨捨(おばすて)サービスエリアでひと休みしました。
この日は多少曇りがちでしたが、姨捨サービスエリアからの千曲川沿いに広がる盆地の眺めは素晴らしく、長野はやっぱり広いなあ、と深呼吸をしながら眺めました。
長野に行くたびに、その広さに圧倒されます。甲府盆地よりも広い盆地が、中央道、長野自動車道へと続く高速道路沿いにいくつあるでしょう。
サービスエリアの展望台からの眺めをしばらく堪能。「どうやらそこに広がるのが善光寺平、飯山はあの向こうだね」と夫が案内板を見ながら指差し、これから行く飯山の位置を確認しました。
長野とは言っても、展望台のひなたは暑く、日陰を求めて冷房の効く車に戻り、先を急ぐことに。
更埴ジャンクションからは上信越道に入り、30分ほどで飯山への入り口、豊田飯山インターから高速を下りました。
昼食、お蕎麦「西及茶や」
朝、ゆっくり出てきたこともあり、到着したのはすでにお昼すぎのこと。
長野に来たらやはりお蕎麦でしょ、とお蕎麦屋さんを探しながら、飯山市街地を目指しました。
途中、手打ち感いっぱいの看板に誘われ、「西乃茶や」という信州そばのお店に入りました。
店に入ると、ちょうど二人分の席が取れましたが、平日にもかかわらず次々とお客さんが来店。どうやら人気店のようで、飯山の名物やお蕎麦についての看板もたくさん掲げてあり、期待感が高まります。
メニューはお蕎麦だけでなく色々あって迷いましたが、飯山の名物が満載の「正受庵御膳」を注文しました。
解説を見ると、「正受庵御膳」の「正受庵」とは飯山の有名なお寺で、創建は1666年、江戸時代。歴史あるお寺の名を冠した御膳は、盛りそばに飯山の名物である「謙信寿司」や小鉢がセットになったメニューでした。
まずは、信州ならではのお蕎麦を一口。「うん、美味しい」。お蕎麦はコシがあって蕎麦独特の香りがし、喉越しもよく、本場の味に舌鼓を打ちます。
珍しかったのは、謙信寿司という飯山の郷土料理。
これは、笹の葉の上に置いたひと口大のすし飯に、甘辛く煮たぜんまいやしいたけなどをのせ、錦糸卵で彩りを添えた一品です。
その起源は戦国時代、上杉謙信と武田信玄が争った「川中島の合戦」にまで遡るとのこと。謙信が出陣した際、この地方の村人たちが笹の葉の上にご飯とおかずを一緒にのせて献上したのが始まりといわれています。
謙信は殺菌作用のある笹の葉を使ったこの寿司を、戦のときの保存食として携帯していたことから謙信寿司と呼ばれるようになったとのこと。
正受庵御膳には、この謙信寿司が5枚も(飯山では謙信寿司を枚と数えるようです)ついていました。
さらに珍しかったのは小鉢の煮物。最初、こんにゃくかなと思いましたが、なにやら違います。
噛んでみると、こんにゃくよりもザクっと歯切れがよく、なかの海藻のようなものが舌に触れ、独特の食感を醸し出します。
お店の人に尋ねると、これは「えご」という海藻のえご草から作られているもので、この地方の特産とのこと。
この年齢になって生まれて初めて食べるものに出会えたことに感動しながら、ゆっくり地元名物を堪能しました。
お腹も一杯になり、西乃茶やを出ると、飯山駅に向けて出発。
宿を取っていなかったので、まずは宿泊施設を紹介してくれる観光案内所を探すのに、ひとまず飯山駅に行ってみることに。
飯山駅はのどかな山あいにそびえ立つスタイリッシュな外観で、一方、なかには日本的で木の温もりが感じられる観光案内所やおみやげ屋さんもあり、とてもお洒落な雰囲気でした。
観光案内所の窓口の人も親切で、なるべく安く、ベッドのある部屋で朝食だけ、というこちらの要望を聞きながら、方々の宿泊施設に確認してくれました。
結果、飯山駅からすぐ近くのビジネスホテルに決まり、ツインが満室だったので、それぞれシングルに宿泊することにしました。
高橋まゆみ人形館
ホテルも決まって一安心、さっそく飯山観光に。まず、友人が一押しで勧めてくれた「高橋まゆみ人形館」に行きました。
高橋まゆみ人形館は、飯山市在住の人形作家高橋まゆみさんの創作人形を展示する美術館で、2010年に開館。飯山に暮らす人々の四季折々の生活感溢れる人形たちに心癒される美術館です。
人形には、「押し車」「お迎え」「散歩」「春こたつ」など、ひとつひとつにタイトルが付けられ、そこに表現されているのは、小さな子どもからお年寄りまで、ごくありふれた日常のひとこま。
背景に広がる飯山の自然と絶妙な一体感があり、味わい深い懐かしい世界観を形作っています。
特にお年寄りの人形が素晴らしく、着ている服や背中の丸さ、髪の毛や顔のしわまで克明に表現され、タイトルとの相乗効果もあり、その人生まで想像が膨らみます。
そういえば、昔のおばあちゃんはこういう格好で後ろ手をしていたっけ、ああ、おばあちゃんはこんな顔をして手押し車を押していたんだなと、うつむき加減のその表情まで見ることができ、普段は忘れかけていた田舎の情景までもが浮かんできました。
そのなかでも感動したのは、介護する母と娘を描いた「母の手」や「さよならの時間」という人形たちで、半年前に母を亡くした私に取っては胸に来るものがありました。
高橋まゆみ人形館では、入館料(一般620円)に400円をプラスすると、併設の喫茶コーナーで折々のおやつが頂けます。
今月のおやつはかき氷で、夫は梅を、私はすももを頂きました。着色料、香料不使用の優しいシロップの甘酸っぱさに心地良い清涼感を味わいながら、人形たちとの出会いをもう一度噛みしめました。
野沢温泉へ
人形館を出ると、一旦近くのビジネスホテルに荷物を預け、車で20分ほどという野沢温泉まで日帰り温泉に入りに行きました。
野沢温泉は、奈良時代に発見された国内でも有数の温泉地で、大小いくつもの外湯と呼ばれる日帰り温泉があります。
そのなかで、私たちは「麻釜温泉公園 ふるさとの湯」という温泉に入りました。
外湯には一般の駐車場がなく、無料の村営駐車場か、近くの有料駐車場に車を置いて歩いていきます。私たちが車を置いた駐車場からは10分ほどの道のりで、少し坂道になっています。
ぶらぶらと温泉街を歩きながらよく見ると、歴史を感じさせる共同浴場と呼ばれる小さな外湯をいくつか発見。
驚いたのが共同浴場の料金で、入り口に賽銭箱のようなものがあり、その箱に気持ちを入れるというシステムで、その代わりシャンプーや石鹸などはなく内湯だけのようです。
「ふるさとの湯」も、有料とはいえ500円という安さ。共同浴場のなかでも新しい施設とのことで、もちろん源泉掛け流しの温泉、内風呂のあつ湯とぬる湯、露天風呂がありました。
お湯は少し白く濁り、その色を見ただけでも効能がありそう。ぬる湯でも比較的熱く、あつ湯のほうは手を入れただけで断念しました。
夏でも、クーラーで冷えた体が芯から温まったので、冬にスキーで訪れた人がじっくり温まるのには最高の温泉だろうと、今度は冬にまた来ていくつかの外湯巡りをしてみたいなと思いました。
お風呂から出ると、すでに夕暮れ。心地良い涼風に吹かれながら駐車場までの下り坂をゆっくり歩いていきました。
温泉からからの帰りは、千曲川沿いの国道を飯山のビジネスホテルに向け、車を走らせました。
その道路から見えた夕焼けの、なんと美しかったことか。

千曲川がその水面に夕焼けを反射し、暗くなっていく山々を背景に茜色に染まった夏雲の移りゆく様は、いつまでもいつまでも心に残る風景でした。
まちの居酒屋で夕飯
いったんビジネスホテルに荷物などを置き、夕飯は近くの居酒屋でとることに。
旅先の知らない土地の居酒屋に入るのは、この歳になっても勇気のいることですが、お店の人が温かく迎え入れてくれるとその土地の印象まで変わってきます。
私たちが入った居酒屋のご主人や奥さんはとても気さくな人たちで、一見さんにも分け隔てなく話しかけてくれました。
まずは地酒の「水尾」というお酒を飲みました。すっきりとした味わいで口あたりがよく、お酒は辛口が好きな夫も随分と気に入ったようでした。
また肴は盛りだくさんでどれも新鮮なお刺身に、ぱりぱりとした川エビの唐揚げ、香ばしい香りが食欲をそそるマグロのステーキ、色合いも綺麗なアボカドとカニのサラダなど、なにを食べても美味しく、お酒もどんどんと進みました。
雄大な山々から流れ出る澄んだ湧水と、美味しいお米で作られたお酒は絶品。
その上、新潟の漁港が近くなのですから山国長野であっても新鮮なお魚が手に入るわけです。
身も心も満腹になってビジネスホテルに戻りました。
二日目 ビジネスホテルでの朝食
翌日はゆっくりするつもりで、朝食を遅い時間に頼んでおきました。
案の定、一番遅かったらしく、皆すでに食べ終わったようでした。
ホテルの厨房の方は私よりもちょっと若いふくよかな女性で、食堂に入っていくと「おはようございます」とにこにこ挨拶をしてご飯の準備をしてくれました。
まるで小さな会社の社員食堂のような家庭的な雰囲気です。
食事はバイキング方式ではなく、ひとりひとり配膳をしてくれ、ご飯にお味噌汁、焼き魚、納豆に卵焼きと、旅館のような和定食でした。
ご飯は適度に弾力があり、ふんわりと。お味噌汁は、ほくほくした大根や甘い人参など野菜がたっぷり入って具沢山。おまけにこちらの顔を見てから温め直してくれたのではないかと思われる、ほどよい熱さ。
お魚も小ぶりの鮭でしたが、箸で触れるとほろっと身がほぐれ、朝食を注文した時間に合わせて係りの人が焼いてくれたのがよくわかりました。
ビジネスホテルでこれほど真心がこもった朝食を食べたことはありません。値段を考えると最高のコストパフォーマンスでした。
こんなところからも飯山のおもてなしの心づくしが伝わって、温かい心でチェックアウトしました。
飯山城址公園
ホテルを出てから、近くの飯山城址公園に行きました。
この日は朝から陽が照り、かなり暑い日でしたが、木陰は思いの外涼しく、解説の看板を見ながら本丸跡や復元された城門などを見てまわりました。
飯山城は築城時期は不明だそうですが、戦国時代には上杉謙信が武田信玄に対抗するための基地として修復し拠点としていたとのこと。
お城はその後紆余曲折を経て、江戸時代から明治維新まで何代も続いていたようです。
この城門は、明治になって民間に売却された15の城門のうちのひとつではないかといわれていて、平成になって移築し復元したものだそうです。
城址を訪れるといつも感じることですが、ここにどんな人びとの暮らしがあり思いがあったのだろうと、まさに「夏草や兵どもが夢の跡」の心境ですが、兵どもだけでなく翻弄されたであろう人びとにも思いを馳せ、つい感傷に浸ってしまいます。
小高い城址の緑濃い夏草や木陰から千曲川や飯山の街並みが見えました。
きっと、春は桜や菜の花、秋は紅葉、そして雪深い冬と四季折々に素敵な景観を見せてくれる街なんだろうと思いました。
昼食、「うなぎ専門店 本多」
お昼は飯山城の江戸時代の城主だった本多家の末裔の人がやっているという鰻屋さんで頂くことにしました。
これも友人のおすすめのうちのひとつで、その鰻を食べにわざわざ北陸新幹線に乗って東京から飯山まで来る人がいるほどとか。
せっかく来たのだからと、最後は奮発して二人ともうな重を注文しました。
少し早めのお昼だったのですが、この日は土曜日だったからか、私たちの前にはすでに行列が。それでも15分ほどで、なかに入ることができました。
通されたのは二階のお座敷。座卓がいくつかあり、それぞれにお茶の支度がしてありました。
鰻はふっくら柔らかく、ちょうど良い焼き加減、上品なタレの味わいに感動したのはもちろんなのですが、器も漆塗りの良い器で、その老舗らしい落ち着いた佇まいに、わざわざでも食べに来たいという人がいるというのも納得しました。
これで飯山から帰るのもなんだか名残惜しく、腹ごなしにまた温泉に寄っていくことにしました。
車で20分くらいのところに馬曲(まぐせ)温泉という秘湯があり、「望郷の湯」という一軒宿の温泉があるとのこと。
望郷の湯は入浴料500円で、母屋の内湯と、少し離れたところにある野天風呂と両方入ることができます。
野天風呂からの夏の山々の眺めは素晴らしく、おそらく紅葉の季節も雪景色もさぞかし絶景だろうなあと思いました。
ここは日本経済新聞が選定した「雪景色の素晴らしい温泉」において東日本で一番と評価されているとのこと。
広い座敷の休憩場もあり、食事もできるので一日かけてゆっくり訪れる地元の人も多いようです。確かに立ち寄り湯だけでは少しもったいない気がしました。
私たちが行ったときは、地元の家族連れらしい人たちやオートバイのライダーたちが何人か来ていました。
飯山城を中心にした歴史あふれる静かな城下町、飯山。
素材を生かした食べ物やお酒も美味しく、それぞれの野趣を味わえる温泉がいくつもあり、何より自然の景観が美しいまま大切にされていて、人びとも温かいまちでした。
ぜひまた来たいなと思いながら帰路山梨へ、車を走らせました。