町田康 講演会「井伏鱒二の笑いと悲しみ」の感想
台風5号の影響で、今にも雨が降り出しそうな日曜日の午後、作家の町田康さんの講演を甲府市にある山梨県立文学館に聴きに行ってきました。
この前、文学館へ「井伏鱒二展」を見に行った時、このポスターを見かけたのです。
今日は雨模様だし、この前展示に来ていたのは、数人の年配者だけだったので、それほど来ないだろうと思っていたら、とんでもない、20分前に着いたのに、駐車場は既にいっぱいでした。
当日申し込みもありましたが、電話予約しておいて良かった、500名の座席も定刻前にほぼ埋まりました。
町田康さんは、芥川賞作家ですが、若い頃はパンクロッカーとして有名だったそうです。
その「パンクロック」と、わびさびの「井伏鱒二」が、どうにも結びつかなくて、いったいどんな内容のお話をされるのだろうと、わくわくしながら会場に入りました。
会場は、老若男女、渋いジャケット姿からロックスタイルまで、実に多様な感じで、それもまた面白い雰囲気でした。
講演で語られた井伏鱒二のテーマ「屈託」
出てきた、町田康さん、チェックのシャツにデニムが良く似合う、さすがロッカーといった感じです。どこからか、「かっこいい…!」というささやきが聞こえました。
資料を見ると、町田さんは56歳のはずなのに、全然見えません。ますます、「井伏鱒二」の感じじゃありません。
壇上の椅子に座った町田さんは、低く重い声でゆっくりと語り始めました。
町田さんの井伏鱒二作品との最初の出会いは、1980年代の前半、「珍品堂主人」という小説だったそうです。
その当時、町田さんは文学をどこかバカにしていたそうですが、その作品を読んで、自分が好きな漫画家「つげ義春」の世界観と一緒だと感じました。
それもそのはず、つげ義春が影響を受けたのが、実は井伏鱒二だったとのこと。
そこから、井伏作品を読み始めたそうです。
文学に全く興味のない若者が、ジャンルの違いを飛び越えて、共通の世界観を感じ取れること自体、すごい感性だなと思いました。
町田さんは、井伏鱒二の世界に一貫して流れているテーマは「屈託」(くったく)であると言います。
普段、「屈託」という言葉は、「ない」とセットで「屈託ない」と使うことはあっても、あまり「屈託」単独で使うことはありません。
屈託って何だろう? と思っていたら、「出口のない、悶々とした気持ち」のことのようで、私はそれを聞いて、ちょうど岩屋で身動き取れない「山椒魚」のイメージと重なりました。
井伏鱒二は、人生の中で、文壇に出れず、悶々としていた時期があり、実は町田さんも、小説家になる直前、同じように何となく埋もれている自分を感じていた時期があったそうです。
その共通する「屈託」感が、共鳴し、共振して、井伏鱒二に惹かれるようになったのではないか、と言っていました。
更に井伏文学の魅力は、その屈託を直接表現するのでなく、「曲げて」表現するところだと、町田さんは言います。
自分が苦しい時、「自分は苦しい」と直接言われてもあまり共感しないが、曲げて、迂回して表現することで、より屈託を感じさせるというのです。
いわば、井伏文学は、ストレートでなくカーブの文学と言えると語ります。
「屈託」を曲げることによって、そこにある種の「ユーモア」が生まれ、「笑い」と「悲しみ」が混然一体となるところに、井伏文学独特の味わいが出てくるそうです。
そういえば、「笑い」と「悲しみ」は、表裏一体だと言った、お笑い芸人がいました。
すごく、悲しいはずのお葬式のようなときに、突然笑いがこみあげてくるようなことがありますよね。でも、そのあと、ものすごく悲しくなったりする。
そんなことなのかもしれません。
町田さんはここで、具体的に、「ジョセフと女子大学生」(1997・11 井伏鱒二)という作品を使って、「曲げる」表現とはどういうことかを説明してくれました。
小説「ジョセフと女子大学生」という作品は、「夜ふけと梅の花・山椒魚」という短編集に収録されている短編小説です。
この作品では、一つの曲げだけではなく、文体さえも変化させ、もう一つ曲げてくるという、こういうことをするのは井伏しかいないと、町田さんは言います。
更に、この井伏独特の表現方法は、彼の生き方そのものの中で確立されたものだったと続けます。
大正末期、井伏鱒二のデビュー当時は、プロレタリア文学が主流になって行った時代でした。
しかし、井伏はその流れに決して与することなく、一方で、反戦の姿勢は常に持ち続けていたそうです。
町田さんは、最後に、今の時代、私たちが井伏鱒二を読む意味を、次のように語りました。
決して時代の空気に染まらず、常に屈曲しながら、自分自身を確立していくこと。
大声を出し絶叫するのではなく、冷静に物事を見続ける姿勢、これが今大事なのではないかと。
そして、町田さん自身、少しでも井伏鱒二に近づけたら嬉しいと、講演を締めくくりました。
講演を聞き終え、私の井伏鱒二のイメージは、少し違っていたなと思いました。
私の井伏鱒二像は、仲間と釣りや温泉を楽しみ、幅広い芸術作品を生み出し、思い煩うことなく天寿を全うした、それこそ「屈託ない」好々爺のイメージだったのです。
屈託なく思えたのは、何重もの屈託を経て、一生をかけて確立した境地だったのだなと、初めて知りました。
嬉しいことに、講演会の参加者には、特設展の無料券が配られました。
もう一度、じっくり鑑賞して、改めて井伏鱒二の世界を味わうことができました。
会場を出ると、雨が降り出していました。
折り畳み傘、持ってきて良かった、いよいよ本降りになりそうです。