生誕120年 井伏鱒二展-へ
山梨県立文学館で開催された「井伏鱒二展」に行ってきました。
山梨県立文学館は、山梨県立美術館に隣接し、山梨にゆかりの作家の資料が展示されています。
今回の特設展「井伏鱒二展」は、常設展の入場料で見学できました。
井伏鱒二(1898~1993、広島生まれ)は、小説の取材や、趣味の川釣りの為、戦前戦後通じて、山梨を何度も訪れています。
展示では、そんな井伏鱒二が、山梨に残したいくつもの足跡や、山梨県出身の俳人、飯田蛇笏・龍太親子との交流、山梨県立文学館収蔵の原稿、書画などを通して、井伏鱒二と山梨のゆかりをたどります。
文学館の二階、右手の展示室が特別展示室です。
井伏鱒二の書画
展示室には、最初に井伏鱒二の小説の直筆原稿と共に、書画の掛け軸や屏風が、展示されています。
まず、目に入ったのは、「はなにあらしのたとへもあるぞ さよならだけが人生だ」という書の掛け軸です。
どこかで聞いた歌のような文句ですが、これは、中国の唐の時代の漢詩を、井伏鱒二が訳した一部だそうです。
原詩は、「勧酒」という題で、友との別離にあたって、この一時を大切にしようと、酒を勧める詩だそうですが、井伏の絶妙な和訳で有名になったとのこと。
確かに、一度聴いたら、忘れられないフレーズです。
他にも、一緒に酒を飲んで、酔って帰る友人の家族にあてた送り状の額もありました。
よく読むと、つまり、“ひどく酔っ払ったこの人を帰すけど、奥さんどうか叱らないでね”という内容。
また、“只今までこゝにをりました 遅くなって気の毒です ”という屏風もありました。
多分本人に持たせたのだと思いますが、一緒に送り状を持たせるというのも何だか粋な感じです。
そのとぼけたような文面と、のびやかな優しい文字に、井伏鱒二の人柄がしのばれました。
なるほど、そのまま掛け軸や、屏風にしたくなるような芸術作品です。
その他、井伏鱒二の手による絵皿や水彩画、竹を削って作った筆立て等、様々な作品が並んでいました。
井伏鱒二の山梨周遊
井伏鱒二は、戦争中は、甲府に疎開していたそうです。
更に、戦前、戦後を通じて、増冨温泉、下部温泉等の温泉や、富士北麓、御坂峠、清春芸術村へと、足を運んでいます。
井伏鱒二と山梨ゆかりの地を記した地図が展示してありましたが、それこそ山梨全域にわたっていました。
解説によりますと、「温泉宿で渓流釣りを楽しむ一方、その地の史跡や古道をたどり、人々の暮らしに関心を寄せた」とのことです。
その中で、山梨を舞台とした作品がたくさん生み出されたようです。
御坂峠、太宰治文学碑
山梨各地で、井伏鱒二本人が写っている写真も、数多く展示されていました。
その中で、御坂峠の太宰治の文学碑除幕式の写真が、心に残りました。
太宰治の没後5年目に建立された文学碑の前で、あいさつをする井伏鱒二と、おそらく太宰の奥さん(石原美知子)と娘さんと思われる二人が、表情硬くうつむいている写真がとても印象的でした。
井伏鱒二の紹介で結婚した太宰の奥さんですが、波乱万丈の太宰を支え、死後5年経ってもまだ悲しみが癒えなかったのではないかと思われる表情でした。
俳人飯田龍太との交流
山梨県出身の俳人、飯田龍太とは、昭和27年、井伏鱒二が講演会で来甲したときに初めて出会いました。
以来40年にわたり親交を温め、交わした手紙が何と400通余り、井伏が亡くなる前年まで続いたそうです。
400通もの手紙、まずそのエネルギーに驚かされました。
その中のごく一部ですが、双方の手紙が展示されていました。
年齢差22歳、ジャンルも違う二人ですが、文面から、気候や互いの生活のことを気にかけ、思いやっている様子が伺えます。
往復書簡は、「井伏鱒二 飯田龍太 往復書簡」として出版されています。
幸富講
井伏鱒二は、気の合う文人らと、「幸富講(こうふこう)」という会を作り、山梨各地を周遊しました。
「甲府」を「幸富」と書かせたり、「講」と呼んだりする言い方は、何とも昭和の香りが漂い、風流な響きです。
地元の飯田龍太をガイド役に、山梨県内の桜や桃の花見や、温泉、川釣りを楽しんだようです。
井伏が描いた富士川周辺の絵地図も展示されており、相当な釣り好きだったことがわかります。
それで、ペンネームも、本名の滿壽二(ますじ)を、魚偏に尊いの、鱒二にしたのだと聞き、納得しました。
清春芸術村
井伏鱒二は、昭和58年頃から、桜の季節になると清春芸術村を何度も訪れています。
井伏は、文学を志す以前は、画家になろうとしたこともあり、清春芸術村で、写生をしたり、水彩画を描いたりしたことがあったそうです。
それで、井伏の書画が味わい深いんだなと、うなづけました。
ここまで展示を見学して、山梨ゆかりの各地で撮ったどの写真にも、井伏鱒二を中心に、人の輪ができていることに気づきます。
小説を書くだけでなく、書もやり、絵も描き、焼き物もひねり、釣りを楽しみ、仲間と酒を酌み交わして、人生思い煩うことなく、95年の天寿を全うした井伏鱒二の、人間としての大きな魅力を感じました。
残念なのは、私自身、井伏鱒二とかなり同時期を生きていて、井伏が山梨を何度も訪れていたのにも関わらず、生前一度も講演などを聴きに行く機会がなかったことです。
展示室を見回すと、数人いた見学者は皆、見るからに俳句をやったり、陶芸をしたりしそうな、おじ様たちばかりでした。