Yamanashi / Japan

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山梨雑学あれこれ

竹久夢二と大法師公園の歌碑

竹久夢二と大法師公園の歌碑

大法師公園富士川町 大法師公園

大法師おおぼうし公園は、山梨県富士川町の大法師山にある公園です。

ここは桜の名所として有名で、毎年シーズンになると県内外の花見客で賑わいます。

この大法師公園の頂上の広場には、富士山を背にして二つの歌碑が並んでいます。

大法師公園歌碑歌碑

一つは、富士川町出身の評論家、望月百合子の歌碑。そして、もう一つは百合子と親交のあった画家、竹久夢二の歌碑です。

望月百合子は、明治33年東京に生まれ、山梨県鰍沢かじかざわ町(現・富士川町)望月家の養女として幼少時代を鰍沢で過ごしました。

その後、上京して新聞記者、また評論家として活躍。フランスに国費留学し、帰国後はアナーキストとしても活動しました。

のちに平塚らいてう等とともに女性解放運動に尽力し、長谷川時雨主宰の『女人藝術』の創刊にも加わっています。

山梨県においては、県内の文化活動に大きく貢献、昭和63年の山梨県立文学館の設立にも携わりました。

画家の竹久夢二とは、百合子が幼少の頃から交流があり、夢二の晩年を知る女性のひとりです。

竹久夢二は、明治17年岡山県に生まれました。独学で絵画を学び、大正ロマンを代表する画家です。

絵画だけでなく、詩や童話、歌詞などの創作も行い、書籍の装丁や千代紙、絵葉書、浴衣のデザインなど幅広い作品を手がけ、現在のグラフィックデザイナーの草分けともいわれています。

夢二の作品のなかで定評があるのは、なんと言っても美人画です。

夢二が繊細な筆使いで描いた、儚げで悲しげな独特の雰囲気を持つ美人画は、特に多くの女性たちを魅了し、現在までその人気は衰えていません。

夢二の美人画竹久夢二の美人画

夢二の代表作『黒船屋』

竹久夢二を語る上で、夢二の絵のモデルとしてしばしば取りざたされる女性は、「たまき」「彦乃」「お葉」の三人の女性たちですが、そのなかで夢二がもっとも愛したひとは「彦乃」だったと言われています。

彦乃は、本名を笠井ヒコノといい、明治29年山梨県西島村(現・身延町西島)に生まれました。

その後、一家で上京。父親は日本橋で宮内庁御用達の紙問屋を営み、裕福な家庭に育ちました。女学校時代から竹久夢二のファンであり、夢二の勧めで女子美術学校(女子美)に入学しています。

夢二と彦乃が出会った頃、夢二には、たまきという妻がいましたが、彦乃に出会い、夢二はすっかり心を奪われてしまいます。

彦乃も親が決めた許嫁がいたので、父親が大反対しますが、彦乃はそれを押し切って家を飛び出し、たまきと別れて京都で待つ夢二のもとに走ります。

二人は京都でしばらく一緒に暮らしますが、しかし、やがて彦乃は結核に冒されてしまいます。

彦乃は父親によって東京に連れ戻され、夢二と引き離されたまま23歳の若さで亡くなってしまいます。

鰍沢は、そんな夢二と彦乃が、幸せに暮らしたわずかな期間に二人で訪れたとされている地です。

夢二の遺品のなかには、当時の鰍沢舟運しゅううんや町並みの写真が遺されていることから、この地は夢二と彦乃の恋の舞台であったとも言われています。

夢二が撮った写真、「かじか沢」とアルバムの台紙に記されている

鰍沢を故郷にもつ望月百合子は、同じく鰍沢が夢二と彦乃の恋の思い出での地でもあったことから、ぜひ富士川を眺めるこの場所に夢二の歌碑を建てたいと切望し、平成6年歌碑建設の運びとなりました。

大法師公園 竹久夢二歌碑竹久夢二 歌碑

竹久夢二の歌碑には、直筆の次のような歌が刻まれています。

「 山国ははや秋風の立ちそめぬ
吾がおもう子にさやりあらすな 」

この歌は、夢二と彦乃との恋の記録を一冊の歌集におさめた『山へよする』のなかの一首です。周囲に反対された二人は、互いを「山」「川」と暗号で手紙を交わし、夢二は彦乃のことを「山」と名付けていたそうです。

会いたくても会えない病床の彦乃の身を案じ、彼女の故郷の山々に想いを馳せた夢二の切なさが伝わってくるようです。


大法師公園の歌碑が立つ頂上からは、桜の木々の合間に富士山が垣間見えます。そして、緑濃い山々を縫うように白く流れる富士川も見えます。

夢二の歌碑の前で、夢二と彦乃の悲恋に思いを巡らせていると、二人が寄り添って山と川をひっそりと眺めているような気がしてきます。

大法師公園 望月百合子歌碑望月百合子 歌碑

また、望月百合子の歌碑も直筆で、次のように刻まれています。

「 限りなき空の蒼あり富士川の
激湍ありて今のわれあり 」

望月百合子は、平成13年、101歳で亡くなります。明治、大正、昭和、平成と生き抜き、女性解放のために戦い続けた人生でした。

その波乱に富んだ人生を富士川の激しい流れになぞらえ、だからこその我が人生と、女丈夫さながらの逞しさを感じさせます。

女性的で繊細な夢二の歌とは対照的な百合子の歌。

竹久夢二と望月百合子、おそらく生き方も随分と違っていたのではないかと思いますが、百合子は夢二の道ならぬ恋の良き理解者として、彦乃との生活を優しい眼差しで見守っていたのかもしれません。

富士山と、富士川を仰ぐ鰍沢という山里を背景に、大正時代というロマンあふれる一時代を偲ぶことのできる二つの歌碑です。

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なえ
山梨生まれ山梨育ちのおばちゃん(おばあちゃん)。セカンドライフ。地元山梨の色々な場所を巡りながら、美術館の感想やおすすめの情報、雑学などをブログに書いていきたいと思います。