Yamanashi / Japan

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山梨雑学あれこれ

ほうとうの由来と特徴

ほうとうの由来と特徴

ほうとうほうとう

山梨県の代表的な郷土料理と言えば、なんと言っても「ほうとう」が有名です。

ほうとうとは、「小麦粉を練って平たく切った麺を、カボチャやジャガイモなどの野菜と一緒に味噌で煮込んだ料理」のことです。

一見、うどんと似ていますが、ほうとうは、生地づくりの際に塩を混ぜないこと、生地を寝かさないこと、麺が幅広であること、麺を湯がかずにそのまま煮込むことなど、麺づくりや調理方法の過程にうどんとは違いがあり、そのぶん、ほうとうは麺が具材や汁と溶け合って、とろみが出るのが特徴です。

ほうとうの特徴 : 「ほうとう」に使うめんはうどんと違って、めんを打ったあとねかさずにすぐに切って煮こみます。そのため煮くずれしやすく、汁にとろみがつきますが、煮くずれしためんがみそとまじりあった味が、「ほうとう」のおいしさなのです。使う野菜に決まりはありませんが、カボチャを入れて作ることが多いです。(「日本各地の郷土料理」農林水産省)

山梨県には、戦国武将の武田信玄が戦の際にほうとうを陣中食じんちゅうしょくとしていた、という言い伝えもあり、家庭で日常的に作られていることはもちろん、観光客向けのほうとう専門店もあるほど、故郷の味として浸透しています。

それでは、そもそもほうとうが山梨の郷土料理として根付いたのは、一体いつ頃からなのでしょうか。

ほうとうの歴史や言葉の由来、我が家のほうとうのレシピや作り方、おすすめのお店などを紹介したいと思います。

ほうとうの由来と歴史

語源

ほうとうの語源には諸説ありますが、俗説も含め、大まかに分けて、次の三つの由来が伝えられています。

1、中国から伝えられた「餺飥はくたく」が音便化したものという説。

2、穀物を粉にするときの作業を「ハタク」と言い、小麦粉に限らず、穀物の粉を「ハタキモノ」と呼んだことから、料理に転用されたとする説。

3、武田信玄が、自らの刀「宝刀」で具材を切ったことから、ほうとうと言われるようになったとする説。

一般的に、ほうとうの語源として考えられているのは、上記のうちの1の説で、6世紀前半の中国の書物『斉民要術せいみんようじゅつ』に出てくる「餺飥はくたく」という食べ物が、ほうとうの起源ではないか、という説が有力です。

餺飥とは、小麦粉を練って平たく切り、煮て食べたもので、平安時代に中国から製法が伝わり、清少納言の『枕草子』のなかにも、「はうたう」という料理が出てきます。

「しばし。ほぞち・はうたうまゐらせむ」などとどむるを、…(現代語訳 : 「しばらくお待ちください。熟れたまくわうり・ほうとうをさしあげよう」などと言って引き止めるが、…)

出典 : 清少納言『枕草子』

また、2の説は、民俗学の立場からの見解で、小麦に限らず、穀物を粉にする作業を「ハタク」と言い、粉物を「ハタキモノ」と呼んだことから、その言葉が転用し「ほうとう」となった、という説です。

最後に挙げた3の説は、武田信玄が、中国の高僧に教わった料理を陣中食にした、という説から生まれたものです。

手間がかからず、消化もよく、栄養価も高いほうとうは、別名「武田汁たけだじる」とも呼ばれ、信濃や西上野にしこうずけ方面の武将たちにも好まれていた、と指摘する歴史家もいます。そのことから発展し、信玄が陣中において、伝家の宝刀で麺や具材を切ったとして、掛詞のように発祥した説と考えられています。


ほうとうの広がり

前述のように、ほうとうの語源は一般的に「餺飥」と考えられ、その製法が日本に伝えられたのは平安時代と言われています。

以下、大まかな時代ごとに、ほうとうが登場する史料を挙げながら、ほうとうの広がりや山梨県でほうとうが名物と言われるようになった時期などの考察を紹介したいと思います。

ほうとうが出てくる史料としては、たとえば、10世紀前半に著された『倭名類聚抄わみょうるいじゅしょう』という辞書に、小麦粉を麺棒で伸ばして四角く切ったものを餺飥というとする記述があります。

また、平安時代には、先ほども触れた『枕草子』の他に、貴族の日記にもよく登場するなど、当時のほうとうは、高貴な人が特別な日に食べる料理だったようです。12世紀半ばの藤原頼長の日記『台記別記たいきべっき』には、餺飥を小豆の汁に入れて食べたとあります。

その後、ほうとうが書かれる史料としては、13世紀末、日本で初の料理書『厨事類記ちゅうじるいき』があります。この本には、ヤマイモをすりおろし、米の粉に混ぜて練り、のし棒でのして細く切って茹で、小豆の摺り汁に入れて食べていた、という記述が出てきます。

材料が米の粉であることや、つなぎにヤマイモを使っていることなど、現在のほうとうとは作り方が違いますが、藤原頼長の記した、小豆の汁に入れていたという記述とも重なる部分があり、興味深い話です。

小豆とほうとうに関して言えば、山梨県北杜市の須玉町には、毎年7月末に小豆ほうとうが振舞われる「ほうとう祭り」が開催される三輪神社があります。この祭りは、味噌が誕生する以前の古き時代のほうとうを今に伝える伝統と言えるのかもしれません(参照 : 小豆ほうとう 山梨県|うちの郷土料理)。

時代が進み、戦国時代になると、石臼などの道具や製粉の技術、味噌などの調味料が発達するようになり、次第に武士や僧侶などが食すようになります。ただし、中世においては、ほうとうはまだ庶民が日常的に食べられるものではなく、特別な料理だったようです。

江戸時代になってほうとうが史料に登場するのが、江戸中期に約30年間、甲府勤番を勤めた野田成方しげかたの『裏見寒話うらみかんわ(1754)です。成方が、甲斐国の名物を記したなかに「ほうとう」の項目があり、「ほうとう   是も饂飩うどんを紐革の如く打て、味噌汁にて煮て食す。本名は蛤腸と云。里人誤て斯云と。」という記載があります。

裏見寒話裏見寒話(甲斐志料集成2)

ほうとうは、うどんを紐革のように打ち、味噌汁で煮込んで食べる、本名は蛤腸と言うも、地元の人は間違ってほうとうと言う(こう言う)、という意味でしょう。

この蛤腸という字の正確な読み方はわかりませんが、はまぐりは「こう」と読むので「こうちょう」かもしれません。

蛤腸というのは、ほうとうの平たい麺を「蛤の腸」に見立てた呼び方ではないか(中世頃まで餺飥と言われていたものが、なぜ蛤腸と呼ばれるようになったのか、また両者の直接の関係性などは不明です)と思います。

と言うのも、蛤腸と似たような名前で、鮑腸ほうちょうという大分県大分市に伝わる郷土料理があり、この鮑腸という呼称も、あわびの腸のように細く伸ばして茹でたものであったことに由来するそうなので、恐らく蛤腸もそうなのではないでしょうか(「ほうとう」が訛り、「鮑腸」になって伝わったとする説もあります)。

大分県の鮑腸は、ほうとうと似ているものの、味付けは基本的に醤油味のようです。

その他、江戸時代後期に著された日向国ひうがのくに(宮崎県)の修験者である野田泉光院せんこういんの『日本九峰修行くほうしゅぎょう日記』(1815)のなかにも、甲斐国の名物として、ほうとうが登場します。

泉光院は、修行のために日本中を歩いた日記を残しているのですが、数ヶ月間滞在した甲斐国において、在家塚村ざいけづかむら(南アルプス市)で、「今夕は当国の名物ハウタウ」をご馳走になったと記し、蕎麦切りとともに、訪問先で何度かほうとうをご馳走になった記録を残しています。

こうした史料を踏まえると、少なくとも江戸時代中期には、ほうとうは甲斐国の名物として知られていたことが伺えます。

しかし、中世以降、特に甲斐国においてほうとう文化がどのように広まっていったのかということに関しては、詳しくは分かっていません。

いずれにせよ、山梨県は周囲を山に囲まれた盆地で、稲作に適した平らな土地が少なかったことから、代わりに畑で小麦を生産し、小麦粉を使ったほうとうをはじめとする粉食が食生活の中心になっていったのでしょう。

甲府盆地と富士山、愛宕山子どもの国より

ちなみに、同じように粉食文化が広がっていた関東近県でも、ほうとうと同じような料理が残っています。たとえば、群馬県や埼玉県、長野県や静岡県にまで広がり、それぞれの地域で、「ホウトウ」だけでなく、「ハット」「ハットー」「ニブト」「ブッコミ」などと呼ばれています。

呼称の点で言えば、山梨県内でも、「ホウトウ」は、甲府盆地を中心とした国中くになか地方の呼び方であり、南巨摩など河内地方では「ノシコミ」「ノシイレ」、河口湖周辺の郡内地方では、「ニコミ」や「ニゴミ」と呼ばれることが多いようです。

我が家でも、南巨摩出身の両親は、ときどき、「今夜はノシイレだよ」と言っていた記憶があります。

また、南巨摩の富士川町十谷じっこくという地域には、「みみ」という料理も伝えられています。

このみみとは、小麦粉を練ってのすところまではほうとうと同じ工程ですが、麺状にせず、一口大に切った正方形の生地を、片側の二つの角をくっつけ、の形に切って味噌味で煮込んだものを指します。

画像 : みみ うちの郷土料理|農林水産省

なぜ「みみ」と呼ぶのかと言うと、農機具のの形に似ていることに由来する説、耳に似ていることに由来する説などがあります。

みみを食べられる場所としては、富士川町十谷にある「つくたべかん」という郷土料理を堪能できるお店があります。

武田信玄由来説

甲府駅前の武田信玄像

ところで、ほうとうの由来に関連し、山梨県民のなかに浸透している伝承の一つに、「ほうとうを考案したのは武田信玄」という説があります。

私自身、子どもの頃に両親から、「信玄が戦場で戦う武士に力をつけるために、手軽に作れて栄養も取れるほうとうを考え出したんだよ」と教わり、その伝承をかなり大きくなるまで信じていました。

ただ、実際は、武田信玄がほうとうを考案したとされる記述は当時の史料に存在していないそうです。

それでは、一体なぜ「ほうとうは武田信玄が考案した」という言い伝えが山梨県に流布したのでしょうか。

山梨日日新聞社の『山梨県史・民俗編』によれば、戦前、郷土研究が盛んになっていった1930年代頃に刊行された出版物のなかには、山梨県でよくほうとうが食べられているという記述はあるものの、「武田信玄が由来」といった話は見られないそうです。

それから、戦後の混乱も落ち着いた1950年代になると、観光目的の出版物のなかに山梨県のほうとうが紹介されるようになり、さらに、1960年代以降の出版物に、「ほうとうは武田信玄の陣中食」という説が地元の言い伝えとして散見され始めます。

この時期、東京オリンピックや万国博覧会を機に、新幹線ができ、高速道路網が整備されると、一般庶民の移動も楽になり、折からの観光ブームも追い風となったのか、それまで家庭料理だったほうとうが、山梨県の観光食として一気に注目されるようになります。

ほうとう専門店ができるようになったのも、ちょうどこの頃でした。

その後、1980年代になり、テレビなどで取り上げられることによって、さらに信玄の陣中食説は定着、1986年の「かいじ国体」を視野に発刊された『甲斐路故郷の味』で取り上げられたことから、一気に全国に広まっていったと『山梨県史・民族編』に記されています。

ただ、記憶を辿ると、昭和初期生まれの両親が、まだ私が子どもだった1960年代には、信玄が陣中食として武士たちに食べさせていたという話を揃って主張していたので、その両親が子どもの頃に親から伝えられていたとすれば、県内の各家庭では、実は相当古くから武田信玄由来説が流布していたのではないかと個人的には思っています。


ほうとうの思い出

昭和初期に生まれた私の両親は、毎晩のように「おほうとう」を食べていた、と言っていました。

ほうとうに「お」をつけた、この「おほうとう」という呼び方は、我が家で日常的に使用し、今でも、ほうとうと呼び捨てにしづらい感覚があるほどです。お米のご飯の代わりにありがたくいただく感謝の気持ちが、こうした敬称に繋がっていたのかもしれません。山梨の年配の人は、一般的に「おほうとう」と呼んでいるように思います。

両親は、子どもだった頃、毎晩のように夕食がほうとうだったことに関し、どこの家でもそうだったことから、特段不満を持ってはいなかったようです。

特に、かぼちゃ入りのほうとうが大好物で、かぼちゃのねっとりとした甘さが味噌の風味と絡まり、毎晩食べても飽きなかったそうで、また、残り物のほうとうを翌朝に温め直し、とろりとした汁を麦ご飯にかけて食べるのも大好きだったと言います。

ちなみに、山梨には「うまいもんだよかぼちゃのほうとう」という有名な言い回しがありますが、「ほうとうにはかぼちゃがつきもの」というくらい各家庭においても頻度の高い具材です。

なぜほうとうと言えばかぼちゃなのか、正確な理由や由来は分かりませんが、特に秋から冬にかけて食べることが多かったほうとうに、時季の野菜であるかぼちゃを入れたからだと考えられます。

同じように、粉食としてほうとうが広がった関東地方の各県においては、かぼちゃを具材として入れないところも多く、ほうとうとかぼちゃという特徴的な組み合わせは、主に山梨の食文化に浸透しているようです。

両親は、他にも、お正月などお祝いのときには、具が野菜ではなく、小豆入りのほうとうで、それが殊のほか美味しかったとも話していました。

山梨では、この「小豆ほうとう」は、先述の「ほうとう祭り」がある北杜市の他に、市川三郷町、身延町、甲斐市、甲府市など各地で食べられ、普段は味噌味のほうとうですが、正月や盆、村の祭り、田植えの時期など、地域行事や祝い事の際には、小豆ほうとうを食べる風習があります。

本来、餅を入れるものの、稲作に適さない山梨で、餅は貴重だったことから、代わりにほうとうを餅に見立てたようです。

画像 : 小豆ほうとう うちの郷土料理|農林水産省

昭和30年代、私が子どもの頃の時代には、さすがに毎晩がほうとうということはありませんでしたが、それでも、週に一回ほどはほうとうが食卓に出ていました。家には、こね鉢とのし板があり、ほうとうのときには、父が一生懸命、手打ちの麺をのしていた記憶があります。

昭和40年代頃になると、ほうとうの麺も市販の麺が出回るようになり、いつの間にかこね鉢ものし板もどこかへ行ってしまいました。一枚の木で作った大きなのし板やこね鉢で、今ではなかなか手に入らないものだったのではないかと思います。

裏側に、大きく父の名前が入っていたので、南巨摩で林業をしていた父の実家で作ってもらったものだったのかもしれませんが、引越しなどに当たって置き場所に困ったのか、今考えると残しておけばよかったと惜しいことをしました。

私は、子どもの頃、ほうとうの特徴であるとろみがあまり好きではなく、どちらかと言うと、さっぱりしたうどんのほうが好きでした。しかし、作る側からすると、一度湯がかなければならないうどんよりも、具材と一緒に煮込むほうとうのほうが手順も易しく、どんな野菜もたくさん入れることができるので、育ち盛りの子どもの栄養補給にも、うってつけの料理だったのでしょう。

また、ほうとうのとろみは体の芯まで温まるので、冬場に底冷えのする山梨の寒さには、手軽で野菜たっぷり、栄養価も高く、体も温まる、まさに一石三鳥の献立だったのです。

時代が平成に入り、息子が小学生くらいの頃は、我が家でほうとうが食卓に上るのは、月に一回程度の頻度だったと思います。

夫の家は、私の実家よりも、さらにほうとうの献立の頻度が高く、週に二、三回は食べていたようで、正直言って食べ飽きた感もあり、私たちはあまり我が家の献立にほうとうを取り入れることはありませんでした。

一方で、息子たちからすると、たまに食べるおばあちゃんの家のほうとうの味が美味しかったのか、むしろ私たちよりほうとう好きになり、大人になって家から離れた今でも、帰省すると必ずと言っていいほど、ほうとうが食べたいとリクエストされます。

それは他県に嫁いだ姉の一家も同様で、お正月など一族が集まると、普段は使わない大きな鍋を二つ使ってほうとうをたくさん作り、一同に食事をするのが行事のようになっていました。

山梨県民にとって、ほうとうの味は、世代を越えて共感を呼ぶ、どこかほっとする家庭の味なのかもしれません。

【参考文献】
『山梨県史 民俗編』(山梨日日新聞) 『保存版 ほうとう 郷土食今昔』増澤とし子、上野晴朗(山梨栄養学園) 『山梨のおかず 郷土の食材と料理』(山梨日日新聞) 『甲州食べもの紀行-山国の豊かな食文化-』(山梨県立博物館) 『裏見寒話』(甲斐志料集成 歴史図書社)

我が家のほうとうのレシピと作り方(市販の麺使用)

市販の麺を使用し、家庭でほうとうを作る際の参考になれば、ということで、我が家のほうとうの簡単なレシピと作り方を紹介したいと思います。

なお、観光客用のほうとう専門店では、鉄鍋に一人前ずつ調理して支給されるスタイルが多いですが、山梨の一般家庭では、大抵大鍋に作って、丼に一人前ずつ分けて盛ることが多いです。


材料(2人分)

  • ほうとう 180g
  • かぼちゃ 1/8個
  • 人参 1/4本
  • 大根 1/8本
  • 里芋 2〜3個
  • しいたけ 2個
  • しめじ 1/2パック
  • 長ねぎ 1/2本
  • 白菜 1/8個
  • 小松菜 1/2束
  • 油揚げ 1枚
  • 豚肉 100g
  • だし汁
  • 水 1200cc
  • 煮干し 30g
  • 味噌 70g
  • 油 大さじ1
  • 醤油 小さじ1

作り方

1、鍋に水を入れ、煮干しでだし汁を作っておく。野菜は適当な大きさに切る(白菜や小松菜、ねぎは葉の部分と芯の部分とに分けておくと良い)。

2、大鍋に油をしき、かぼちゃ・白菜・小松菜・ねぎの葉の部分以外の野菜と豚肉、油揚げを入れ、さっと炒める。

3、肉の色が変わったら、だし汁を入れ、沸騰するまで煮る。

4、肉のアクをすくいながら、人参や大根が柔らかくなったら、麺をほぐしながら入れる(鍋の中で麺がくっつかないよう、菜箸でほぐす)。

5、5分ほどして、かぼちゃを入れ、さらに中火で10分ほど、麺が柔らかくなるまで煮る。

6、味噌をだし汁で溶きながら入れ、味を調整する。

7、残った白菜・小松菜・ねぎの葉の部分を入れ、2分ほど煮込む。

8、最後にもう一度味見をし、醤油をまわしながら入れて味を整える。

【補足】

麺は、一人前ずつ入った袋を人数分入れます。多過ぎると麺が水分を吸って溢れかえるので、控えめに入れたほうがよいかもしれません(我が家では、4人分の時は、3袋にしています)。

だし汁は、顆粒だしや昆布、鰹節でもよいですが、山梨に昔から伝わる家庭の味としては、煮干のだしが一番だと思います。

野菜は一度油で炒めてから、だし汁を入れたほうがコクが出ます。

かぼちゃは型崩れするので、最後に入れて様子を見るとよいでしょう。

野菜は、ごぼう、いんげん、れんこん、玉ねぎなど、なんでも入れてよいですが、特にきのこ類はたくさん入れると出汁も出るのでおすすめの素材です。

醤油は隠し味程度に、最後に少しだけ入れると、味が引き締まります。

おすすめのほうとう店

ほうとうは、これまで書いたように家庭料理としても普通に作られますが、専門店もあるので、観光旅行などで山梨を訪れた際には、こういった専門のお店で食べることができます。


以下、山梨県内で、甲府駅周辺のお店から、景観のよい観光地にあるお店まで、おすすめのほうとう屋さんを紹介したいと思います。

*現在の営業時間や休業日、ラストオーダーなど、詳細な情報は公式サイト等で確認をお願いします。


奈良田本店(甲府市)

ほうとう 奈良田本店

甲府駅から車で10分、または国母駅から徒歩25分。ほうとうの他にも十割そばや親子丼、山菜の天ぷらなど、また山梨名物の地鶏の焼き鳥、馬刺しや鳥もつ煮など、できるだけ山梨の天然素材にこだわった食材を使った色々な郷土料理が頂けます。ほうとうは、見た目ほど濃い味噌味でなく、あっさりとした味わいで、かぼちゃやニンジンなど、具材の野菜ががとても大きく切ってあるのが田舎風の味わいです。

住所 山梨県 甲府市 国母 4丁目22-12
電話番号 055-226-0911
営業時間 昼 11:30〜14:30(L.O 14:00)日曜、祝日は、15:30(L.O 15:00)
夜17:00〜22:00(L.O  21:00)金、土、祝前日は〜22:30(L.O 22:00)
定休日
料金の目安 かぼちゃほうとう 950円
公式サイト https://narada.favy.jp/  富士見店もあり

ほうとうおざら・ちよだ(甲府市)

店名にもある通り、名物は、ほうとうを冷水でしめ、温かいつゆでつけ麺風に食べるもう一つの郷土料理「おざら」です。店の場所は、甲府駅南口から徒歩3分と近く、昔ながらの店内の雰囲気で地元のひとからも愛される名店です。

住所 山梨県甲府市丸の内2−4−8
電話番号 055−222−5613
営業時間 昼 : 11:30〜13:30(土日祝日は、〜14:00)、夜 : 17:30〜22:30(土日祝日は、18:00〜20:00)
定休日 月、他臨時休業あり
料金の目安 おざら 720円 ほうとう 1240円
公式サイト http://marumaru115.blog.fc2.com/

昇仙峡 お食事亭 一休(甲府市)

ほうとう 一休

甲府駅中心部からは離れますが、ほうとうのおすすめの店は、駅からバスで30分ほどで着く関東屈指の渓谷美を誇る昇仙峡(甲府駅から昇仙峡行きのバスの案内)にある、お食事亭「一休」です。昇仙峡の中心の覚円峯を目の前にしたロケーションで、土産品も購入できる昔ながらの観光地の休憩処です。ほうとう以外にも、山の幸を使った釜飯や岩魚定食もありますが、ほうとうは、地元の野菜をふんだんに使い、かつて山梨の家庭で食べられていた味を彷彿とさせる懐かしい味わいです。

住所 山梨県甲府市竹日向町830
電話番号 055−251−8119
営業時間 9:00〜17:00
定休日
料金の目安 ほうとう鍋 1100円 岩魚の塩焼き定食 1650円
公式サイト http://ikkyuu1965.fc2web.com/

すがはら屋(甲府市)

ほうとう すがわら屋

創業は1888年と、昇仙峡でもっとも歴史のあるお店の一つで、蕎麦やほうとうが提供されている古民家風の落ち着いた佇まいのお店です。ほうとうの他にも昇仙峡の地元のそばである御岳そばも有名で、そば打ち体験もできます。店内には水晶や印伝など山梨の土産物もたくさん置いてありますが、中でもこの店オリジナルの信玄角箸という四角い形をした箸は、滑りにくく麺類を食べるのにはちょうど良い箸です。ほうとうは赤味噌仕立てですが、上品な味わいで、上に乗せられた地で取れたほうれん草の色合いが食欲をそそります。冬場は休業しているので注意が必要です。

住所 山梨県甲府市平瀬町3207
電話番号 055-251-8121
営業時間 [月・木~日] 11:00~14:30 日曜営業
定休日 火、水、冬季休業(12月〜3月)
料金の目安 ほうとう 1000円
公式サイト http://www.terra.dti.ne.jp/sugahara/index.html

金峰(甲府市)

甲府駅から少し遠く、車で20分弱の場所にある金峰きんぽう。北杜市産の無添加無農薬小麦を使った自家製手打ち麺、天然素材の出汁と甲州味噌のスープ、先代から続く個人経営のほうとう屋さんで、冷やしほうとうのおざらや鳥もつ煮など郷土料理ももおすすめです。ほうとうは、コシがあってもちもちとした歯ごたえのある不揃いな麺と、出汁に使った煮干しがそのまま出てくる味噌汁が、田舎のおばあちゃの家で食べたほうとうを思い出すような懐かしくさと滋味溢れる一品です。

住所 山梨県甲府市徳行1−13−18
電話番号 055−226−5493
営業時間 11:00〜14:30、17:00〜21:00
定休日
料金の目安 かぼちゃほうとう 1080円
公式サイト https://www.facebook.com/kinpuu/

天下茶屋(河口湖町)

昭和9年創業、富士急行線の河口湖駅から富士急バス「天下茶屋」行きに乗り、30分ほど(バスは午前中の数本のみで、冬場は運休)に位置し、富士山と河口湖が一望できる天下茶屋。徳富蘇峰が、天下茶屋と新聞に紹介したことから、その名前が知れ渡り、多くの文人も来訪。特に、井伏鱒二や太宰治の滞在は知られ、太宰治の小説『富嶽百景』の舞台となった店でもあります。二階には、太宰治が逗留していた部屋を復元した、太宰治文学記念室もあります。滞在中、初代の店主が、ほうとうを出した際、放蕩ほうとう息子と勘違いしたのか、「僕のことを言っているのか」と不機嫌になり、これは甲州名物のほうとうという食べ物だと店主が説明すると、安堵して食し、好物になった、というエピソードも残っています。きのこほうとうには、かぼちゃや白菜などの野菜の他に、たっぷりのなめこが入っていて、麺のねっとりとなめこのトロトロが食感のアクセントになっています。天下茶屋には、アクセスしやすい国道沿いに、姉妹店「峠の茶屋」があります。

住所 山梨県南都留郡富士河口湖町河口2739 
電話番号 0555-76-6659
営業時間 10:00〜17:00
定休日 年中無休(冬場は天候により休業も)
料金の目安 ほうとう鍋 1250円 きのこほうとう鍋 1550円
公式サイト https://www.tenkachaya.jp/

大豊(山中湖村)

山中湖ICから車で3分の大豊。近くに、花の都公園もありますが、山中湖畔から少し離れているので、観光化されていず、地元の美味しい和食屋さんといった感じです。ほうとうの他に、富士桜鱒寿司や山中湖のわかさぎ天ぷら定食など様々な定食、地酒やワインなどドリンクも充実しています。ほうとうは味噌仕立ての他に、オリジナルの塩ほうとうがあり、鯛の出汁のあっさりした塩味に、野菜と焼いた鶏の手羽先が入っていて、味噌味とはまた違った味わいの逸品です。九州から取り寄せているという柚子胡椒を添えて、味のアクセントにしています。

住所 山梨県南都留郡山中湖村山中865-919
電話番号 0555-62-4650
営業時間 [平日] 11:30~14:00 17:30~21:00(L.O.)  [土・日・祝] 11:30~15:00 17:30~21:00(L.O.) ※冬季時間変更有
定休日 月(祝日の場合は営業し、翌火曜日に休業)
料金の目安 ほうとう 1200円
公式サイト https://tabelog.com/yamanashi/A1903/A190302/19000905/

以上、山梨県の郷土料理ほうとうの由来や自宅で簡単に作れるレシピ、おすすめのほうとう屋さんでした。

ABOUT ME
なえ
山梨生まれ山梨育ちのおばちゃん(おばあちゃん)。セカンドライフ。地元山梨の色々な場所を巡りながら、美術館の感想やおすすめの情報、雑学などをブログに書いていきたいと思います。