Yamanashi / Japan

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美術展など

「森田真生×ドミニク・チェン×小倉ヒラク~風と菌のシンポジウム~」に行った感想

「森田真生×ドミニク・チェン×小倉ヒラク~風と菌のシンポジウム~」に行った感想

甲府市の老舗、五味醤油店で行われた「森田真生×ドミニク・チェン×小倉ヒラク~風と菌のシンポジウム~」に行ってきました。

会場は、五味醤油店のワークショップスペースKANENTE。

KANENTEは、最寄り駅の金手駅から命名

表の老舗のお味噌屋さんとはまた違った雰囲気のスペースです。

普段はここで味噌づくりのワークショップなどをやっているとのこと。シンポジウムの申し込みは定員30名、公会堂や文化ホールなどと違って、身近に話を聞けそうなこじんまりとした会場でした。

入り口で受付をしました 1ドリンク付きで3000円

中に入ると、木の香がほんのり香る温かみあふれる空間で、おしゃれな小さなライブ会場のようです。

五味醤油店の店主の兄妹と、このシンポジウムを企画した小倉ヒラクさんは、「発酵三兄妹」として、地元ラジオ局で、発酵に関わる様々なことを語るトーク番組を持っています。

そのラジオ番組もさることながら、以前、甲府駅北口で開かれた「発酵マルシェ」というお祭りで、小倉さんが企画したトークイベントに行きとても面白かったので、今回も参加することにしました。

シンポジウムの登壇者は4人。

まず、企画した小倉ヒラクさんは、1983年生まれの「発酵デザイナー」で、山梨県甲州市在住。デザイナーとして幅広く活動する中で「発酵」と出会い、発酵醸造学に関する仕事を多数手がけています。

森田真生さんは、1985年生まれで、京都府在住。数学者でどこの研究機関にも属さず数学の研究をしている「独立研究者」。数学に関するたくさんの著作を著し、また全国で講演活動を行っています。

ドミニク・チェンさんは、1981年生まれで東京都在住。情報学研究者・IT起業家で、早稲田大学の准教授として教鞭もとっています。お母様が日本人、お父様はベトナム出身の台湾人でフランス国籍とのこと。日本語、フランス語、英語に堪能です。

この三人に、当日飛び入りで加わったのが三島邦弘さんです。

三島さんは、1975年生まれ、出版社「株式会社ミシマ社」の社長で、京都府在住。ミシマ社はこれまでの出版社の常識にとらわれないスタイルで、話題の本を次々と世に送り出しています。

以上、生まれも育ちも業種も違う4人が、「発酵」をキーワードにテーマを一つに絞ることなく、次々と色々なことを語ったトークイベント。

まさにラップのライブコンサートかダブルスのテニスの試合を見ているかのようなテンポのよいシンポジウムでした。

トークの前に、「ワイン」「日本酒」「ぶどうジュース」の中から1ドリンクを選びました。

私は、ワインを選びましたが、それがまた山梨独特の一升瓶のワインで、「三郎の葡萄酒」というワインでした。

山梨生まれ山梨育ちの私にとって昔よくお爺ちゃんが飲んでいたなあと、本当に懐かしかったです。「ワイン」というようなおしゃれな響きのものでなく、一升瓶に入っていて湯飲み茶わんで飲む「葡萄酒」という呼び名がぴったりのお酒。

その味わい深い葡萄酒を、可愛いプラスチックのカップで頂きながら、リズムよく繰り広げられるトークにグイグイと引き込まれていきました。

集まった人たちは8割以上が県外、中には九州からの人もいてビックリでした。ほとんどが、20~30代の若者でしたが、私のような年配者もいて、少しホッとしました。

以下、印象に残った何点かのフレーズを私なりの解釈で感想をまとめてみました。

ITには発酵が足りない

進行役の小倉さんから最初にふられたドミニク・チェンさんは、いきなり「ITには発酵が足りない」という提示をし、IT業界に携わるドミニクさんがなぜ今発酵に注目しているのかその理由を語り始めました。

話を聞くうちに、ドミニクさんは、現在のテクノロジー社会が人類にこれまでと違った進化を与えていくのではないかという危惧感をもっているのでは、と感じました。

機械は本来人間のために生まれ、人間の生活を便利で快適に、そして人間の幸福のためにあったはずなのに、コンピュータについては、その進化が逆に人間を侵食してきているのではないかと。

お話の中で、アメリカの子どもたちの30年にわたる追跡調査の話が出たのですが、SNSをしている子どもほど「セルフコンフィデンス」が低いとのこと。確かに日本でも色々な教育関係者が指摘しています。

いじめや身体的な影響も含め、親や教師ははすぐにSNS禁止とか時間制限とかにいってしまいがちですが、ドミニクさんは、そういう短絡的な方向ではなく、もっと根源的なあり方の見直しの提示をされているような気がします。

そのカギが「発酵」という概念で、そのこと自体が私には新しい発見、これまでの考えの中になかった新たな感覚でした。

単純に年代で括ることはできないかもしれませんが、私自身が感じてきた、同年代の脱テクノロジーの急先鋒の人たちとは違って、自身が最先端のテクノロジーの世界に身を置きながらの新しい志向が新鮮に響きました。

台所で、母からの古いぬか床を失敗しながらも引き継いできて、一方で最近やっとスマホのやり方を覚え始めた私にとって、これからの人生を考えさせてくれるきっかけとなったような気がします。


「わかること」と「できること」の分離

数学者の森田さんは、数学の話、仏教の話など自身が心酔している数学者の岡潔の話を織り交ぜながら、テンポよく持論を展開しました。

その中で、私が印象に残ったのは、「わかること」と「できること」の分離から数学が始まり、その頂点がコンピュータである、というくだりでした。

分からなくてもできることが増えていくこれからの時代は、「わかること」の喜びを知らない子どもが増えてくるのではないか、とのこと。

森田さんは、「わかること」は自分がその一部であることの、ある種「懐かしい」という感覚に似ていると言います。もしかしたら対極にあるかもしれないと思っていた数学者の方の、繊細な表現に少しびっくりしました。

かつての学校教育では、「できること」の方を重視し、理屈はいいからまずやってみろと、経験値を重ねることを強いてきたように思います。

「できること」が「わかること」の延長線上にあった時代と、既に「できること」が先行している時代の「わかること」の意味合いが違ってきているのではないかと思いました。

色々なことをAIがやってくれるようになって、「できること」が多くなってきた時、より本質的に問われるのはどう「わかる」かということ。しかも、「わかる」とは、決してゴールではない、むしろ出発だと、森田さんは言います。

ラリーのような言葉のやりとりの中で、森田さんのこの言葉は、特に印象に残った投げかけでした。

周防大島の現状

出版社「ミシマ社」の三島さんは、以前から自らの雑誌で定点観測してきた山口県周防大島の話をしてくれました。

メディアでもほとんど取り上げられることのない周防大島の現状を、正直私は初めて知りました。

10月22日、山口県の周防大島と本州を結ぶ大島大橋に貨物船が衝突し、事故から1ヶ月以上島内ほぼ全域9000世帯で断水が続いているのだそうです(*12月1日に、ほぼ全域で断水が解消とのこと)。

そんな状況下、島民の皆さんは、それぞれが自律的に自ら行動を起こし、助け合い、一日一日の生活を積み重さねていると言います。

起きた事象を誰かのせいにして怒りをぶつけるというでもなく、諦めるのでもなく、主体的に自分たちの生活を生きている。

とつとつと語る三島さんの語り口に、人に対する温かい眼差しを感じ、その温かみがじわっと伝わってくるような感じがしました。

山梨県も数年前、陸の孤島になったことがあります。2014年2月14日から15日にかけて、観測史上初、甲府市でも積雪114㎝を記録。

道路は全面で通行止め、鉄道もストップ。文字通り陸の孤島になりました。

玄関から出られないほど目の前まで積もった大雪を見て、90年近く生きてきた同居の母はビックリしすぎて腰を抜かし、夫はその日から1週間会社を休んで(というより行けず)、近所の人と雪かき三昧。私も、甘酒やほうじ茶をふるまいながら、一緒に奮闘した記憶が蘇ってきました。

私たちはまだ家にいたから休むこともできましたが、何日も車や電車に閉じ込められたり、中には大雪のための事故で亡くなられた方もいました。

それでも、1週間ほどで交通網は次々と復旧しましたが、もしあの状態が1ヶ月以上続いたらと思うとゾッとします。

自然災害でなく人災で被災された周防大島の人たちのこの間の暮らしを思うと、決して他人事にしてはいけないと思いました。

もし同じことが起きた時、この山梨で、この甲府で、我が家のまわりで、私に何ができるかなと考えさせられました。


on the edge という生き方

小倉ヒラクさんは、今回は進行役に徹していたようで、トークのアシストをしたり、パスを投げたりしながら議論を盛り上げていました。


そんな中で、かつてイギリスの小さな大学に留学した時に、サテイシュさんという創立者が語った「“on the edge“という生き方がいい」という言葉を紹介していました。

危険やリスクを伴う生き方がいいってどういうことだろうと思い、聞き進むと、更にそのあとに「何も突っ込みどころのない人生はよくないのだ」と続きます。

シンポジウムの最後に質問のコーナーがあり、その時にも小倉さんは「『遊ぶ』とは、リスクに向かって旅をすること」と語っていました。

私自身、自分も子どももいかにリスクの少ない人生を送るかばかり考えていたように思うので、ちょっとした衝撃でした。

もしかしたら、物理的なリスクだけでなく、心情的に何かのリスクを常に自分自身に突き付けて生きていくという事なのかなとも思いました。


私が感じたこと

個性あふれる4人の話は、一つ一つがバラバラに見えて、不思議な統一感でまとめられ、あっという間の二時間となりました。

これは、この会場自体が「発酵」そのものなのかなと思い、久しぶりに思考が熟成していく時の心地よさのようなものを感じました。

最後の質問コーナーで出てきた「いまの学校に必要なことと必要でないこと」の中で、三島さんが「これからの学校は、誰も答えが分からないことに向かって先生も生徒も一緒になって向かって行くことが大切」と言っていたことがとても印象深く残りました。

その誰も答えがわからない価値をどのように選択していくのか、また、その選択の仕方が果たして自律的なのかどうかが問われる時代になってきたことも実感しました。

私もそろそろまとめの人生の段階とたかをくくっていましたが、これからの未来をどう選択していくかまだまだそこに責任を感じて生きていきたいなと思いました。

ABOUT ME
なえ
山梨生まれ山梨育ちのおばちゃん(おばあちゃん)。セカンドライフ。地元山梨の色々な場所を巡りながら、美術館の感想やおすすめの情報、雑学などをブログに書いていきたいと思います。