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山梨雑学あれこれ

四尾連湖の由来と石碑

四尾連湖(しびれこ)とは

夏の四尾連湖

先日、山梨の穴場の避暑地の一つとして「四尾連湖」を紹介しました。

四尾連湖は、東京都心からも近く、車で2時間ほどで到着できる湖ですが、富士五湖に比べて派手さはなく、いまだ手つかずの自然が残る静かな湖です。

手つかずの自然とはいっても、周辺を散策できる遊歩道やキャンプ、BBQができる設備は整っているので、素朴なアウトドアを楽しみたい人にとっては、知る人ぞ知る穴場のキャンプ地です。

しかし、そんな四尾連湖の成り立ちや名前の由来などを知る人は案外少ないかもしれません。

今回は、山梨の神秘の湖ともいわれる四尾連湖の成り立ちや由来、また湖畔にひっそりと建っている石碑の意味などについて紹介したいと思います。

四尾連湖の位置と成り立ちとは

四尾連湖は、山梨県西八代郡市川三郷町(いちかわみさとちょう)にあり、JR身延線市川大門駅から車で30分ほどの大畠山の山頂付近、蛾ヶ岳ひるがたけの山の中腹に位置しています。

四尾連湖は、標高約850mの所にあり、周囲は1.2kmととても小さな湖。

成り立ちは、火山活動によってできたカルデラ湖とも、また地面が陥没してできた陥没湖とも言われています。

四尾連湖はどの川とも繋がっておらず、湖のどこからか湧き上がる湧水と雨水だけでできているのですが、不思議なことに、湖面の高さはほとんど変化することがありません

実際、湖畔でキャンプ場を営んでいる「水明荘」の方に伺ったところ、これまでに台風で遊歩道が浸かったことはあったものの、湖が溢れかえるようなことは一度もなかったということです。

一体なぜ、四尾連湖では水の量が一定に保たれているのでしょうか。

細かい理由はまだはっきりとは分かっていないようですが、どうやらバランスを保つようにどこからか水が流れ出ているらしいのです。

その一つの例として、四尾連湖に向かう途中に「浄身石(じょうしんせき)」という場所があります。

集落の人は、その場所を「川」と呼び、岩から染み出る湧き水を利用していたようですが、このような形で湖から一定量の水が流れ出ているのではないか、と考えられています。

この浄身石には、昔、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が富士の噴火から逃れ、四尾連湖へ向かう途中にこの川で産気づき、浄身石に座って身を清めたという言い伝えが残っています。


四尾連湖の名前の由来と歴史とは

そもそも「四尾連湖(しびれこ)」という名前自体が想像を湧き立たせてくれる不思議な名前。

この地名には一体どんな由来や逸話が隠されているのでしょうか。

調べてみると、かつては「志比礼湖」とも「神秘麗湖」とも書かれていたそうです。

それが「四尾連湖」と言われるようになったのは、「四尾連湖」の神さまが「尾崎龍王」という四つの尾を連ねた龍神で、そこから「四尾連湖」という名前になったと伝えられています。

江戸時代には、富士講における富士八海(山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖・泉瑞または須戸湖・明見湖・四尾連湖)の一つとして、行者が富士登山の前に巡礼し、修行の場としていたようです。

八海にはそれぞれに龍神が住んでいて、行者は湖を巡り修行をしながらそれぞれの龍王に手を合わせていたようです。

四尾連湖、静かな湖面

また、四尾連湖には、龍神が住むということで雨乞いの伝説も伝わっています。

今から、3~400年前、二人の兄弟の侍が湖に住む怪牛を退治し命を犠牲にしましたが、それがきっかけで大雨が降り、干ばつに苦しむ住民が救われたそうです。

それ以来、干ばつの時には兄弟の墓に詣で、牛の頭を湖に沈めて雨乞いを行ったといわれています。

昔の人は、富士山信仰にしても、雨乞い信仰にしても、この山奥にひっそりと佇む、緑深い透明な四尾連湖を見て、何か手を合わせたくなるような神秘の力を感じていたのかもしれません。

四尾連湖の湖畔にある石碑の碑文の意味

四尾連湖には、湖畔を一周できる(所要時間約15分)遊歩道が整備されていますが、その遊歩道のちょうど半分くらいの辺りに石碑が建っています。

石碑には、「尾崎龍王」と刻まれているのですが、先ほども触れたように、尾崎竜王は四尾連湖の龍神の名前です。


そして、左下には小さく「内八湖第八番鎮座所」とあります。

この言葉からも、富士講の人々が富士登山の修行に行く前に巡礼地としてここを訪れていたことが分かります

石碑の裏側には日付が刻まれ、「嘉永七年七月七日」とあります。

嘉永七年は、西暦に直すと1854年で、これは明治維新の14年前に当たります。

歴史を紐解くと、前年の嘉永6年頃から大地震が相次ぎ、またペリーが黒船を率いて来航、更には京都御所が火災に遭うなど災難が多発した、という時代背景があります。

あまりに災難が続くので、嘉永7年11月に安政に改元。歴史年表としては嘉永7年は安政元年に置き換えて語られることが多いようです。

いずれにせよ、自然災害や様々な政治の混乱の中、富士講の人々が世の平穏を願って巡礼し、この石碑を建てたのでしょう。


まとめ

いまだ手つかずの自然が残る神秘な湖「四尾連湖」についてまとめてみました。いかがだったでしょうか。

最近は、テレビアニメ「ゆるキャン△」にも登場する湖として有名になり、ファンの若者も多く訪れているようです。

四尾連湖は、山梨に残る貴重な自然遺産として、いつまでも大切にしたい場所の一つです。

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山梨生まれ山梨育ちのおばちゃん(おばあちゃん)。セカンドライフ。地元山梨の色々な場所を巡りながら、美術館の感想やおすすめの情報、雑学などをブログに書いていきたいと思います。